2014年9月7日日曜日

合同礼拝、バプテスマ式

説教 南田師

 
礼拝、バプテスマ式












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救いの証
東京ローア・バプテスト教会  畠田谷保子
 私は、島根県松江市出身で、キリスト教についてはあまり知りませんでした。子供の頃、天理教の集まりに母親に連れられて行ったことがあります。小太鼓のようなものを叩いて、踊っていた様子を見たことを覚えています。母親は私の耳が聞こえるようになるために連れて行ったと思います。
 キリストの出会いは、佐藤恵子姉から料理教室に誘われたことでした。料理教室は南田宅でした。パン作りでしたね。何を作ったかは何年
前か忘れたのですが、
 南田宅だけでなく、そのあとメリー宅の料理教室に行った覚えがあります。料理教室を通して教会に行くようになりました。
 最初は、教会に毎週でなく時々行っていて、礼拝出席だけでなく、教会のイベンドなど時々参加し、スキーキャンプに参加した覚えがあります。福島ローア・バプテスト教会のメンバーであるスキーの得意なで山田和幸兄が参加していて、又、宍戸美紗子姉と交わりをした覚えがあります。
 日曜は仕事のため礼拝に出られないこともあり、仕事を変わって、教会に行くようになり、又水曜の祈祷会に出るようになり、バプテスマクラスに出てイエス様を信じる決心して救いに導かれました。以前は、イエス様を信じますかと聞かれると私はわかりません、まだ浅いのでと答え方でしたが、今、はい信じますと素直に答えるようになり、感謝です。1人で聖書を読むことは大変難しいですが、ろう者どうしで手話で学び、神のことばを少しずつ理解が出来ています。聖書のことばを覚えて答えられるようになり、感謝です。
牧師から
 礼拝前に早めに来られて掃除をしてくださることもあります。教会に来るようになったのは17年前のこと、神様は、長い時間をかけて畠田谷姉を招いてくださいました。イエス様を信じて救いに導かれて、感謝です。恵みを覚えて主の御名を誉め称えました。
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救いの証
東京ローア・バプテスト教会  和田文子姉

  横浜市東神奈川区生まれて、私が7歳頃、実母が亡くなり川崎市に移って育ちました。 亡くなった母親のことはあまり記憶がありません。今日、バプテスマ式に来てくれたのは2度目の母親です。この母が若かった頃カトリック信者で、東京に転居し、日本基督教団の教会に通っていました。父親は、仏教を信じていました。母親が私を連れて教会に行くようになりました。新宿の教会で母親が礼拝出席して賛美歌を歌って楽しんでいたようです。私は幼い頃、母親の傍らにいて聞こえないため、礼拝の説教、賛美歌も全然分からず、毎週のように礼拝に出ていましたがほとんど寝ていました。大きくなって賛美歌に興味を持つようになり、母親が賛美歌の演奏している所を指で示してくれた覚えがあります。きよしのこの夜の賛美歌の際、自分の声を出さず、口パクで讃美したこともあります。母親にばれて叱られたこともありました。口語教育の時代で母親とけんかしたこともあります。ただ礼拝の説教の内容を手話通訳が必要と思わず、全く分からず寝ていたばかりで、筆談もありましたが、文章だけ読んで理解出来ない状況でした。小学生の頃で牧師の説教を筆談してもらうはずがないです。高校生(思春期)になった頃、教会から離れて母親に反発して父親に叱られた覚えがあります。両親を敬う気持ちがなく意思疎通ができないため、反発したこともたびたびありました。
 教会に何度か行ったことがありました。聴者の細井美和子姉が南田牧師よりキリスト教手話を習っていて、ろう牧師がいること、東京ローア・バプテスト教会を紹介頂きました。いくつかの教会に行き、何人かのろう者クリスチャンと出会いましたが、神様は東京ローア・バプテスト教会まで導いてくださったと思います。
 私は、神様の前に罪人でした。主イエス様は、私たちの罪を背負って身代わりとなって十字架にかかって死んでくださったことを感謝します。バプテスマを受ける決心して今日バプテスマを受けることが出来て神様が導いてくださったことを感謝します。神様とともに歩みましょう。
 バプテスマを受ける前、いつも母親が食事の前にもう少しでバプテスマを受けるのですねと何度も言っていました。バプテスマを受ける日に教会に来てくださり、いつもと違った顔で嬉しい気持ちがあふれて大きな喜びです。感謝します。





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救いの証
日本ろうキリスト教会 高橋由男兄

 出身地は岩手です。盛岡聾学校理容科で学び、中学卒業後、聾学校の先生の話が理解出来ず勉強ができないため、理容を学ぶことを諦め、先生の指示により上京しました。東京に行った時は中学卒業で23歳の時でした。あれから定年まで43年間働き続けました。現在53年間東京に在住しています。教会に行ったきっかけは3年前に高橋正雄牧師とお会いしたことで、毎週休まずに行くようになりました。高橋正雄先生と会って主にある交わりをしました。高橋正雄先生は病気のため天に召されましたが、信仰は変わらず教会に行き続けていました。高橋正雄先生よりバプテスマを受けるつもりでいましたが、先に天に召されていたため、南田牧師からバプテスマを授けていただけることになりました。週に1回バプテスマの学びをし、バプテスマを受けることが出来て感謝します。
 昨年の6月に合同礼拝で湊崎真砂先生が説教でした。その時に盛岡聾学校卒である佐藤平兄と伊藤勲兄がいらしてお互いに見覚えのある気がしました。耳の長い佐藤平兄の特徴を覚えていましたのですぐにわかりました。長い間、東京で働いていてあまり聾学校の卒業生と会っていませんでした。54年ぶりの再会でした。本当に何年ぶりです。54年は南田牧師の産まれる前のことになりますね。
 キリストの愛により高橋由男兄と佐藤平兄、伊藤勲兄を引き合わせてくださった恵みを覚えて感謝します。

共にキリストの聖名をあがめましょう。



愛餐会

記念撮影